亀田屋アトリエ KAMEDAYa Atelier


2024.04.14(日)晴れ
確定申告の業種名に芸術家と記入はしているが、芸術は職業じゃない気がしてきた。なんと言うか、職業以上のものだと思う。じゃあ何なの、って言われても困るが、一周回って逆に趣味かもね。もちろん、作品を売って収入を得ているが、それは作家がと言うより買い手が作品に価値を見出している。値段設定は作家側、もしくは契約画廊がしていてもそこに価値を見出しているのは確実に買う側だ。それは明確に買い手の表現である。そしてその価値はあまりにも人それぞれで宝でもありゴミでもある。ニーズに応えて作られたものは芸術とは言えない。ニーズを超えたもの、価値を壊したもの、そこに芸術の本質がある。ニーズに価値を与えるのが職業ならば、芸術はそうではない。そんな理屈。



2024.04.03(水)晴れ
「風を受けるアンネ」
現在、パレスチナで起きている出来事をアンネはどう思うのだろうか。この間、初めて読んだアンネの日記、今これを読むことの心の置き所がわからない。ユダヤ人のアンネの状況は絶望的だった。なのに、日記に綴られる言葉には希望が満ちていた。そして、戦争のない世界を、ユダヤ人であることに誇りを持って生きられる国を切望していた。確かなのは、2000年変わらぬ、ただ、風だけが吹き抜けている。


2024.03.25(月)雨
ある日(確か2022年の暮れ頃)アトリエに置き手紙があって「通りすがりにアトリエをお見かけして覗いてみました。もし注文ができるのでしたら浅間山の絵が欲しいのですが相談しても良いですか」と書かれてあってメアドも添えてあった。さっそく、メールしたら返事がすぐ来た。Oさんは70代の女性で年齢を重ねだんだん遠出が不自由になり大好きな浅間山を見に行く機会も難しくなりつつあるのでせめて自宅で絵を楽しみたいとのことで、特に夏の青い浅間山が気に入っていてそのように描いてもらえるかと、自ら撮った写真と簡単なスケッチが添付してあった。時期も冬だったのでもう少し暖かくなって雪が溶けた頃、実際に山を見てから描きたい旨を伝えた。年が明け、個展やイベントの準備にかまけてなかなか浅間山を見に行く余裕ができず連絡も途絶えたままだったが、2023年の夏が過ぎる頃、一段落してメールをしてみた。もしかしたら、心変わりもしているかもしれないと思ったが、Oさんは待ちかねていたように喜んで返事をくれた。それで、ふたりで一度浅間山を見に行こうと提案したら、遠いところ足を運んでいただいた。私も初めての鬼押出し園から望む浅間山は圧巻だった。なるほど、確かに青い。Oさんも久しぶりに眺める浅間山に気持が高揚しているようだった。その後も、私は何度かスケッチに出かけた。そして、置き手紙をいただいてから実に一年が経過してキャンバスに向い筆を取った。そこから始まった浅間山との格闘は結局5ヶ月ほど続き、ようやく納得の行く絵に仕上がったのは左のものだ。始めは勢いよろしく筆のタッチと強い色彩でダイナミックに描いてやろうと意気込んだが、恥ずかしいぐらいに全然ダメ。完全になめていた。どんだけ描いてもちっとも浅間山にならずつまらぬ山にまま。青さも雪の青さにしかならない。途中経過の画像をメールで送るとその度に注文が来た。だんだん、むしゃくしゃして来て途中で筆を投げ出した事もあった。再び個展の準備が始まってしばらく放置していた時もあったが、思い出しては筆を取って続きを描く。そうしているうちに面白くなって来た。色が生きてきた。腰を据えてしっかり画面と向き合えて来た。自分の浅間山が見えて来た気がした。絵と向かい合うとはこう言うことか、思えた。なんと言うか、素直な絵になったと思う。Oさんも気に入ってくれた。しかし、どうしても自分ではもっと己のエゴを全面に出し切った絵も見たくなり右の絵を短時間で一気に描き上げた。これは最初に想定していた絵だった。なんだか知らないけど、描けた気がした。こちらも欲しいとのことで2点をお譲りした。自分にとってかけがえのない経験だと思う。
 


2024.03.12(火)雨のちくもり
梱包作業。恒例のイラストを添える。感謝。自分の作品が誰かの元に行くなんてスゴいことだよ。作品を買うってちょっと覚悟がいると思う。だって、その作家のこともちょっとは背負うことになると思うから。純粋にその絵が好きだから、と言うのもあるけど、知ってる作家だったらその絵が一日中家のどこかにあるってことでしょう。イヤになったら見たくもないよね。そうならないようにこちらも常に身を引き締めたないと、と思うのだ。そう言う意味でも作品を売る責任を感じながら画面に向っていたい。



2024.03 覚書
・色のことを考えてみた。自分のエネルギーを直結に放出するための色選びというか色になっていると。
・日々というものが剥がれる紙切れのよう。
・失敗した絵ほど面白くなる。最初からうまくいった絵はどこか嘘くさい。でも、本当に一発目からうまくいった絵は、うまいかどうかは自分でもわからない。
・私の作品にコンセプトはいりません。 コンセプトは作品を成立させるためにありますが、私の作品はもう成立しているのでコンセプトは必要ないと思います。
・we are at our most creative when failure and rejection doesn't scare us. 失敗や拒絶を恐れないとき、私たちは最も創造性を発揮できます。
・日記を書く理由として思ったことは多分自分が生きてきた証が欲しいからだと思う。 今日、自分は生きていたのだろうか。今自分は生きてるのだろうか。そして自分はどこから来てどこに行くのだろうか。その記録、何もかもが忘却の淵に消えていくのがただ ただ 恐ろしい。
・これだけ並べていっぺんに見ると自分らしい色使いとかタッチがよく見えてくる。1枚1枚描いている時はこれでいいのか不安がよぎるがこうしていっぺんに見るとこれで良いのだと思える。



2024.02.23(金)晴れ
「テレーズ」とタイトルを付けた。
これを描いたとき、モーリアックのテレーズ・デスケルウを読んでいた。
主人公のテレーズは、自分の真の声にあまりに忠実なため周囲とは馴染めず孤立し、偽善的な夫に我慢できず毒殺をもくろむ。一命を取り留めた夫はそれでも世間体を気にしてテレーズを幽閉し平静を装うが、破壊的な生活を送るテレーズを持て余し、遂には家族や村から追放してしまう。
この絵の女の激しい動揺と諦めに満ちた瞳がこちらを見つめている。それがこの小説の主人公と重なった。



2024.02.22(木)雪
SNSでは、猫の日として絵師達が猫画を上げている。自分も何かアップしようかと思ったが良いのがない、と言うか彼らの絵の素晴らしさに気後れした。それにしても、ソーシャルメディアは無名の絵師達の発表の場としての威力を存分に発揮していると思う。これ程までに名もなき絵師達が世界中から日々SNS上で発表していることに感動を覚える。もちろん作品の優劣はあるが、それよりも表現力の豊かさに圧倒される。恐らくは、殆どの人が美術の教育を受けて来た訳ではないだろうけど、絵を描くことへの自由さ、そして人に見て欲しいと言う純粋な気持、それがSNSとマッチしてるのだと思う。それは、ある意味自らの境遇からのいっときの脱出かもしれない。それが彼ら彼女らの絵の強さ豊かさに繋がっている気がする。
今日は朝から雪が降っているが、暖かい雪だ。道路もすぐ溶ける。沢渡温泉街も雪景色。
 


2024.02.19(水)雨
これが描けたんなら、この先どう転んでもしょうがないか、って思える絵が描けた気がする。
「幸福」と名付けた。



2024.01.06(土)晴れ
謹賀新年。いろいろ整う日。今年も描いて描いて描きまくる!
 


2023.11.16(木)晴れ
「燃えさかる子を抱く母』「燃える母子像」
その戦争をもうやめろ!!!! NO WAR!!!!!!!!!!!!!!!!!
 


2023.05.25木 晴れ
壁紙のロールを知人から譲ってもらった。
夏から広い天井画を予定していたので習作のために使ってみた。
描き心地が良くコンテがよく走った。それほど丈夫ではないのでしばし破れが生じたが構わず描いた。絵具もよく乗った。面白い素材だ。
「長い川」と題して取り組んでいるのは次の大型作品の仮のタイトル。
たくさんの人々が髪の毛のように長い長い年月を繋いで来ていることがイメージになっている。これ程までに人は人を殺し続けているのはどうしてだろう。
もう一度、アダムとイブからやり直せれば良いのに、と思った。そもそも、神などいるのだろうか。
 


2023.05.12金 晴れ
愛しの荒野
ある時代のある場所にある民がいました。その時代は煮えたぎるマグマのように蠢いていました。噴き出したマグマはやがて固まり、固まったマグマは人々に打ち砕かれ、また新たなマグマによって大地をドロドロに溶かした。そんなことが繰り返され赤く灼かれた大地は尚も人に厳しかった。わずかに残された肥沃な土地も乾いたごつごつした谷や岩山が人の入り込むのを拒むように覆っていたのです。それなのに、人は約束された地を必死で守り戦いぬいてへばりつくように生きてきました。巨大な征服者が何度も現れては消え、その度に人々は土地を追われちりじりになり囚われ殺された。しかし地は血を放そうとはしませんでした。どれほど苛烈な契約を背負わされていても、人は己の肉体が滅びきることも厭うことなく、いっそう厳しく険しい土地へと分け進みました。決して見ることのない恋焦がれし人物がそこにいるかのように人は荒野を目指したのです。



2023.05.02木 晴れ
私が絵に向う時、絵には向っていない。絵にするのではなく、絵の尻尾を掴んだ瞬間が絵になればと思っている。そんな時、彫刻をやっていた頃の自分をよく思い出す。彫刻をする時の自分の手と心の動きを。彫刻は暗闇に手を突っ込んで手探りで形を掴み取って引きずり出すようなものだ。
 


2023.03.28火 晴れ
得体の知れないものを自分から引きづり出す、そこに到達するための作業の連続。それが顔を出したとき一気に引きづり出す。それが自分にとっての描くと言うこと。



2023.03.25土 晴れ
この絵はもうない。どうにもならず全く違う絵を重ねて描いた。こう言うことは珍しい。だいたいはどうにかして仕上げてしまうもので、その結果面白いものが出るのだが、これは全くもってどうにもらなかった。最初からどこかに見せてやろう、と気負いがあった。どうよこれ、と言う自分がいた。恥ずかしいことだ。最後は十字架なんか描いちゃって、恥ずかしい。
 




2023.01.20金 晴れ
この日、沢渡神社に初詣。そして恵比寿講も。いずれにしても御身ばかりをお祈りす。商売繁盛、つまりは作品がたくさん売れますよーに!
いい作品を描くのは己の努力、売れるは運、運は神頼み。運も実力の一つ、と言われてしまえばそれまでだが作品が良くなくては始まらない。まして、芸術とは良き作品が必ずしも売れる作品とは限らないややこしい世界。どれほど力があって強く引き込まれる作品でも家に飾るにはどうも…、と躊躇するのは結局売れない作品。ニーズにかなった壁に飾っても差し支えない当たり障りのない作品、もちろんこれは売れる作品。私はピカソの「芸術は壁紙ではない」を心情に絵と向き合っております。絵を描く努力は致します。でも、売れる売れないはやはり神に頼るしかないかなあ。本日より本年初営業なり、パンパン。



2023.01.19木 晴れ
「干支 アニマルズ」展のための十二支最後の一頭、寅に取りかかる。最後に虎を残したのはこの一頭で全てを出し尽くしたいと思ったから。途中で描いて力尽きてしまったら残りがつまらないものになりそうだと思った。虎は生半可では描けそうにない。古今東西の絵師たちが幾千年を賭けて挑み続けている題材、もちろん私なんぞが小手先で太刀打ちできる代物ではないことはよく分っているがそれでも自分なりに挑みたいと思った。イキナリ画面に向って手を動かしていった。ちっぽけな考えなど邪魔なだけ、自分を剥き出しにしてこねくり回す。画法などいらない、いやそこじゃない。失敗でも成功でもない存在そのもの。一気に描いた。我ながらなかなかスゲェなと思えるものが出て来た。二度とは描けまい、そう思える作品はだいたい良いものなのだ。
因みに,この掛け軸は友人が実家の荷物を処分する際に出て来たものでいらないと言うので貰った。十数本あってどれも印刷の安物だと言う。しかし、積年の風合いが画面に染み付いて歴史を感じさせる。穴だらけのボロボロなのがまた良い。その上から直に描いていった。それらの年月を借りることが出来たと思う。
「干支 アニマルズ・寅」 掛け軸にアクリル絵具
[zodiac sign animals /Tiger] Acrylic paint on hanging scroll
  


2023.01.08日 晴れ
書初め(この場合は"描初め"だろうか)

書き初めを英語で調べたら、”First calligraphy of the year’” あるいは、”Kakizome”でした。そもそもその概念がない。HaikuやKaraokeみたいな感じ。
ちなみに干支は、Japanese Zodiacらしい…、Etoでええやん?
「干支 アニマルズ・辰」 掛け軸にアクリル絵具
[zodiac sign animals /Dragon] Acrylic paint on hanging scroll



2022.12.30金 晴れ
年内最後のドローイングは年賀状描き。毎年、全部手書きで干支の絵を描いている。ホントは数を減らしたいのだけど、30枚以下になかなかならない。最近は辞退を申し出る人もいる。snsやメールで充分とのことだろう。年賀状を出すのも貰うのも嬉しかったのはいつ頃までだったか。それに、殆どの返事は印刷ものに一言添えてあるだけで味気がない。自分は一枚一枚描いてるのに、と思ってしまう。そんな中でも、毎年楽しみな年賀状を送ってくれる人もいる。今年はこう来たか、と毎回感心して楽しんでいる。面倒ではあるがやはりなくなったらそれはそれで寂しいのだろう。表面ができたらひとりひとり思い浮かべながら宛名を書く。どうしてるかな、想像して書く。お互い合うこともないまませわしなく一年が過ぎて、この時ばかりは顔を思い浮かべてみるのも悪いことではなさそうだ。なんだかんだ思いながらも、これを終えてやっと新たな年を迎える心の準備ができると言うもの。
ついでと言っては何だが、亀田屋アトリエの謹賀新年店頭飾り
も作ってみた。
 


2022.11.18土 晴れ
中学校に上がったばかりの美術の授業で初めて美術室に入ったとき、目に飛び込んで来たのは壁一面の異様な壁画だった。美術担当のK先生がこれは卒業生が制作した「ゲルニカ」の模写だと教えてくれた。ピカソやダ・ビンチ、ロダンなど、子供の頃から名前だけは知っていたがそれが何なのかは興味もなかった。それなのに、その絵に直面したとき、唐突にピカソと絵が繋がった。それが、私の初めての芸術体験だった。ねじれた馬の頭部、遠くを見つめる牛、両手を上げて叫ぶ人、赤子を抱きかかえる母親の姿、灯火をかざす腕、散らばる手足、理解を超えていた。いや、理解はいらなかった。その絵は中学生の模写だったが私にとっては本物の衝撃だった。(撮影:小川貴司)
 

 


2022.09.29木 晴れ
Q、制作以外の仕事や日常をどうやって過ごしているか教えて下さい。

A、亀田屋アトリエと言うギャラリー兼アトリエを運営しています。制作と仕事以外の時間は酒を飲んで過ごしています。どこかに食べに行ったり温泉に行ったり人と会ったりイベントに参加したりと言うのが極端に少ないのでたぶん「付き合いの悪いやつ」と思われています。それなのに、亀田屋アトリエに訪ねてくれる人がいるのはありがたいです。



2022.08.17水 雨
FM
群馬・G★FORCEの竹村淳矢さんと櫻井三千代さんが沢渡の亀田屋アトリエにやってきました!
群馬に来てからラジオで流れるふたりの掛け合いに笑わせてもらっていたので、まさかご本人を目の前にする日が来るとは思いませんでした。軽妙なテンポと程よいツッコミに口も弾んであっという間の収録でした。

9月9日(金曜)16:30ごろの 「結~中之条発」で亀田屋アトリエが登場します。お時間ありましたらご視聴お願いします!(自分は仕事で聞けませんが…)



2022.06.28火 晴れ
「色んな素材や技法を使ったおもしろ自由絵画」
いらなくなった布やダンボールを切ったり張り合わせたりしたキャンバスの上にクレヨンや絵具で色をつけて自由に絵を描いてみる。
(技法名:コラージュ、フロッタージュ、スタンプアート)
持ち物:絵具と筆、クレヨン、鉛筆、いらなくなった紙や布やダンボール
汚れてもいい服装
8月8日、9日



2022.06.06木 晴れ
新たな画面を据え付けた。それは、鏡であり扉であり、ただの壁である。



2022.05.26木 曇り
犬の「うし」さんは亀田屋アトリエの常連である。普段は全くマイペースだが、ご主人が食事に出ている留守中「まぁこいつでもいいや」と疑似主従関係を装っている。
(撮影:山形敦子さん)



2022.05.26木 晴れ
2021年のビエンナーレの元になった松と滝を見に仲間と出かけました。自分がスケッチしている姿は見れないのですが写真に撮ってもらえて嬉しかった。風景に納まってる感じが見ている自分が見られている側になっていて面白いです。それにしても思い出されるのは、熊よけに私が先頭を歩きながら奇声を上げていたらいつの間にか後方の誰しもが奇声を上げはじめ、次第にそれは本来の目的を失いストレス発散にシフトしていつまでも谷間に谺していた。まるでジャングルに響き渡るケモノ達の声のように。時に、誰気兼ねなく腹の底から大声を出すのは大事なことだと思いました。またやろうかな、奇声ツアー。
 

 


2022.05.25水 晴れ
この作品は5月5日に終了したnewroll 企画「imimiazawaり」飯沢康輔 × 巳巳で展示した作品ですが、実に久しぶりに彫刻作品を発表しました。
私は大学を彫刻で専攻していながら卒業後はほとんど彫刻らしい彫刻は制作していませんでした。インスタレーションやプロジェクト作品を展開してきましたがここ数年は本格的に絵画作品と向き合っています。なので私が彫刻科の出身と言うと意外に思われる方も多いようで、また同時に腑に落ちる方もいるようですが、その反応を見るのは私の密かな楽しみにもなっています。
左の作品は「大地 Earth 2022」右は「老耕のための彫刻」と名付けました。特に右のタイトルはに気に入っています。さて、ではここでこれらが何故彫刻なのかとの疑問が浮かぶかも知れません。立体だから彫刻?物質だから彫刻?私はちょっと違います。この作品と視る者が空間を共有し作品の一部になり得るからです。イマジネーションが空間を補い作品と融合するのです。絵画作品は対峙するものであり彫刻作品は内包されるものです。そう言う意味で私はこの作品を彫刻と位置づけました。もっとも彫刻と絵画の境界線を探る手法は20世紀に充分やり尽くされていることなのですが。

 


2022.04.21木 晴れ
最近はダンボールや送られて来た封筒類、包装紙など何にでも描いています。紙を捨てるのが不得意なのでたまった紙類を使いはじめたのですが、ついには昔もらったイノシシの皮にも描いてみた。それで思ったのですが描き心地がいいとモチベーションが高まり手がよく動いて吸い込まれるように描けるのです。描き心地と制作の根源は直結してると思うようになりました。逆に真っさらな紙に向うと居心地の悪さを感じてしまい,筆を持つ手が鈍るのです。いまさらこの紙を自分が汚していいのかと萎縮してしまう。覚悟が足りないのかも知れませんね。とは言え、何にでも描けるのは楽しいものです。



2022.04.02土 晴れ
ふざけすぎず、かといって真面目すぎず、その舵取りができれば大抵のものは絵になるのかもなあ。ときに、転覆すれすれに荒波にあらがえたら見たことない風景が見えるかもしれない、と期待しつつ。



2022.03.20日 晴れ
大学時代の専攻は彫刻科でした。それもオーソドックスな人体塑像を主に学んでいて具象彫刻家を目指していた時期でもありました。粘土は面白い。自由に動かせるようでなかなかやっかいな素材です。自由であるが故の不自由さとでも言いますか。形と言うのは作り込まなければ生まれて来ない。粘土そのものは形になる前の状態でパレットの絵具のようなもの。でも、その絵具のような状態を心棒に肉付けしていきながら同時に鉄ベラで粘土を刻むようにデッサンをとる行程がとても生々しくて好きでした。作りかけの塑像はなんとも魅力的なんだけど作り込む過程でそれはどんどん失われつまらない表面になって行く。それを乗り越えてまた形が現れはじめ完成を目指すのですが、せっかちな自分はそんな行程がどうにも我慢できず、最終的には作りかけの部分を敢えて残しながら不完全で終了させていました。とは言え、そのようなスタイルの彫刻も珍しくはなく結局は彫刻作品はそれも含めて形を残す作為の固まりなのです。私は現在アクリルや油絵具を使って描いていますが、絵具をキャンバスの上で練り込むように描いているとこの頃のことを良く思い出します。不完全の美しさ、過程の魅力は絵具に満ちているように思います。真っさらな画面に筆から直接ほとばしった最初の一筆のなんとキレイなこと、一瞬もうこれでいいのではと錯覚する。これを生かして絵具のキレイさだけで終わりにしたくなるのだが、そこにおぼれると陳腐なものになってしまう。形に向うための道具として色を突き放していなければならない。グイグイ引いたコンテの線と絵具が混じり合って向こうから何かがやって来るのを捉えることができれば作品になるのです。作家にとって筆を置く瞬間はおそらくこれ以上描いても大きく変わらないと見切った時だと思うのだけれど、私の絵はこの瞬間を放棄してます。ライブ会場が突然停電になった瞬間の剥き出しの現実に
放り込まれたような臨場感を画面に残したいと思っています。因みに、大事にしている言葉があって美術大学を目指して通っていた予備校の講師がおっしゃっていたのですが「僕は(その講師)塑像が仕上げの段階になればなるほど大きいへらを使うんだよな」と「自分が良いと思っている部分は必ず足を引っ張る、それを一度壊せればもっとよくなるよ」と「デッサンは紙を汚すこと」…なんか、人生の教訓のようでもありますね。



2022.03.04金 くもり
報道は偏った一面しか見せない。立場が変われば真逆の事実が広がる。真実が報道されることは不可能だ。しかし、これだけは言える。こどもを殺していい大義などこの世に決してあってはならない。NO WAR!!!



2022.02.28土 晴れ
寅年生まれの娘さんへのプレゼントと言うことでご注文を受けた絵。自分らしさを残しつつ虎の勇ましさにかわいさとユーモアをミックスしてみました。



2022.02.18金 雪
描いたのではなく生まれて来た絵とはなんだろうか。そんな絵を死ぬまでに一度でいいから描いてみたい、いや巡り会いたい。



2022.02.12土 晴れ
自然の美しさには芸術はかなわない、と言う人もいる。確かにそうかも知れない。目に映る剥き出しの自然はただただ言葉を失う。しかし、果たしてそれだけであろうか。芸術は自然を見たままに映すものではない。芸術は自然に向かい合ったときの心の動きを映しとるものだ。目から入ったものが心を通して筆を動かす、そう言った作品に対峙すると自分もその場にいたかのような不思議な懐かしさを感じるのだ。



2022.02.07月 晴れ
風景画は面白い。風景は無限です。その無限の何を切り取るか、何を選び何を捨てるか、それが絵になるのです。単なる風景の解説ではつまらない。絵に正解はありませんがあるのは己をいかに見つめられたかです。風景に対峙していると自分の腹の中が現れる、良くも悪くも。



2022.02.01火 晴れ
小春日和の一日、窓ガラスを磨いていて汗ばみました。
亀田屋アトリエのプレオープン、今回はまん延防止もあり沢渡温泉のご近所の皆様のみのお知らせとご挨拶になりました。お忙しいところ足を運んでいただいて感謝です!



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     亀田屋アトリエ KAMEDAYa Atelier《美術家 飯沢康輔が作品制作と展示販売を行うギャラリー》

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